私の好きな曲とCD(第4回)  96/09/03更新


  



ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44

  ピアノ四重奏曲 ハ短調(初期の習作

 

作曲:1842年(P五重奏),1829年(P四重奏)
出版:1843年(P五重奏),1979年(P四重奏)

ピアノ四重奏曲ハ短調へのショートカット



INDEX

  1. 室内楽曲入門に最適?!
  2. シューマンの室内楽への道
  3. 曲の構成
  4. 私の所有する全CD紹介
  5. 次回予告


   1.室内楽入門に最適?!

 そもそもこの「ロベルトの部屋」で、シューマンのそのジャンルにおける代表作、つまりシューマンの作品全体でもすでに普遍的に名曲視されている作品を取り上げるのは今回が初めてであろう。そのことのために一度アクセスしたこの部屋からすぐに帰られてしまったことがかなりあったのではなかろうか。私が単なる「マニアック」という意識から曲を選んでいないつもりであることはすでに繰り返してきたとおりだが。

 なぜ私が連載当初有名曲を避けたのか。ひとつは、有名曲ならいろんな本にCDの紹介がでていて今更やらなくてもいいと思ったから。もう一つは、「親しみやすい曲なのになぜか無名の不憫な曲」の再評価ののろしを上げてやろうという思い。だが、より切実な第3の理由は、有名曲になるとCDがやたらと多いので執筆に膨大な時間と労力を要するという点である。だから最初から有名曲は長い休みの期間にしようと決めていた

 ところが、この夏休みに予想外に雑用に追われて暇がなかったもので、予定はずるずる遅れて、本来夏休み中をもくろんだ次回のピアノ協奏曲はどうしても更に先へと延期するしかなくなってしまいました。特撮ファンの皆さま、ごめんなさい(わかる人にしかわからないことを)。すでに数十枚に及ぶCDが出番を待っているのだが。

 今回のピアノ五重奏曲に関しては今回24枚(プラスおまけ1枚)のCDを取り上げる。あと2枚、入手できてもおかしくない「実にメジャーな演奏家」のものがあるが、これは見つかり次第追加するつもりである。前回の「ヴィーンの謝肉祭の道化」が執筆直前にゾロゾロと18枚まで増加したこと自体計算外だったが、私の印象ではこのピアノ五重奏曲もまだまだCDが見つかるかもしれない。

 ちなみに私はシュワン等のCD総目録には一切頼らずに、以前から持っていたCDと、店頭を探して棚に見つかった分だけを取り上げている。もとより、今回確認してみたら、私がここで取り上げているCDの枚数はシュワンに掲載されているものよりかなり多いことが判明した。もとよりシュワンに載っていて私が聴いていないものもかなりある。と言うことは、集合論的に見て(?)、私がここで掲載しているもののかなりの部分がシュワンには載っていないということになる。

 ちなみに、私は店での在庫確認すら一切とっていない。私は「運命の出会い」を信じる人間なのである(笑)。

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 さて、皆さんは、もしここに、ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンからチャイコフスキー・ドヴォルザーク、マーラーやブルックナーの有名曲、ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽やらバルトークの管弦楽のための協奏曲や「弦・チェレ」ぐらいまでの曲を聴いてきた、一渡り入門期を脱しはしたが、室内楽曲となるとまだほとんど聴いてはいないというクラシックファンがいたとすれば、室内楽入門として何を薦めるだろうか。

 ちなみにここではバイオリンソナタ等のピアノ伴奏付きの二重奏曲は一応除外しよう。

 ハイドンやモーツァルトが好きならば、彼らの弦楽四重奏(五重奏)とかでもいいだろうが、はっきり言って現在の若い人達は、そういう形で室内楽を聴き始めてはいないのではないか。

 私は管弦楽になじんでいた人には、やはりかなり「シンフォニックな」聴き映えのする曲の方がなじみやすいのではないかと思う。しかもリズミックで構成が堅固で退屈する間がないくらいに音が詰まった変化に富んだ作品。

 ベートーヴェンでいえば「大公」トリオよりは「ラズモフスキー」の第3番、シューベルトとなれば、ご多分に漏れずだが、ピアノ五重奏曲「ます」、あるいは弦楽四重奏曲の「死と乙女」「四重奏断章」

 メンデルスゾーンでは、というより、ピアノ三重奏曲というジャンルの入門曲としては、やはり華麗で小気味いい第1番ニ短調。もちろん響きが分厚い弦楽八重奏曲でもいいのですが。ブラームスならば、ピアノ五重奏曲もいいが、最近シェーンベルクの管弦楽編曲版が結構でているピアノ四重奏曲第1番ト短調あたりならば、交響曲の延長として自然に聴けるはずである。ドヴォルザークとなると、あまりにありふれた選択だが、やはり弦楽四重奏曲「アメリカ」が、新世界交響曲との主題の類似性もあるのでなじみやすくて無難だろう。

 更に時代を下ってバルトークやストラヴィンスキーの管弦楽の有名曲が特に気に入った人は、いきなりバルトークの弦楽四重奏曲の4番あたりから挑んでもらうと、室内楽曲というのがこんなにも攻撃的でダイナミックで、多彩な音色の表現もできるジャンルということに新鮮さを感じられるかも。ショスタコビッチの交響曲に惹かれた人には弦楽四重奏曲の8番ピアノ三重奏曲の第2番

 何か、室内楽の永年のファンからすると、しょっちゅう聴いていたらくたびれそうな曲ばかり並べてしまった気がするが、私は何よりオーケストラ曲になじんでいる人の取っつき易さを優先したつもりである。

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 そして、もう一つ忘れてはならない、室内楽入門のためのとっておきの推薦作が、我がロベルト・シューマンのピアノ五重奏曲変ホ長調Op.44なのである。それどころかシューマンの(交響曲すら含む)ソロではない器楽曲の入門として一番間違いないのもこの曲と次回取り上げるピアノ協奏曲だろう。

 すでに第1回でも書いたことだが、シューマンは古典的・構成的なソナタの枠組みで曲を作ろうとすると、きちんと作ろうとすればするほど、何かシューマン本来の奔放な楽想のはばたきの足を引っ張ってしまい、何か少し窮屈で中途半端な印象の作品を作ることが少なくなかった人である。交響曲ですら、あちこちで古典的ソナタの枠を逸脱させてシューマン自身の持ち味に引きつけて曲を作ったら作ったで、交響曲としての欠陥をいろいろと揚げ足取りされる始末。ピアノ協奏曲ですら、本来単一楽章のピアノと管弦楽のための幻想曲を拡張するという変則的な作られ方をする中で、幸運にも古典の足かせをかわすことに成功したのだと言ってもいいだろう。

 ところが、ここに、唯一の例外がある。基本的にはむしろ明快というのに近いくらいに古典ソナタ形式の作曲法を逸脱していない点では交響曲以上。にもかかわらず、およそ楽想とその展開のすべてにシューマンの個性が刻印され、しかもはじめて聴いた人にも奔放で新鮮なインパクトを与えるだけのたいへんな「聴き映え」をもった「一目惚れ」しやすい作品。そしておよそその楽器編成の曲種において古今東西のすべての曲の代表作としての評価に値する普遍的完成度を持つ逸品、それがシューマンのピアノ五重奏曲なのである。

 そもそも、この作品は、意外にも、弦楽四重奏にピアノを加えたピアノ五重奏曲というジャンルの歴史上はじめての成功作なのである。シューベルトの「ます」五重奏曲は第2バイオリンがなくて代わりにコントラバスが使われている以上、楽器編成としてはむしろ変則的なものである。

 バイオリンが一台だけのピアノ四重奏曲というジャンルならばすでに頻繁に作曲され、モーツァルトのト短調という超一級の名曲すら存在していた(この曲も室内楽入門に推薦です)。恐らく弦楽四重奏とピアノを組み合わせようという試みそのものはかなり以前から試みられていたはずだ(モーツァルトのピアノ協奏曲などしばしば弦楽四重奏のみの伴奏で演奏された形跡があることは、最近CDも発売されているので、ご存じの方も少なくないかもしれない)。だが、弦楽四重奏とピアノのために最初から作られたシューマン以前の作品は、ことごとく歴史に淘汰されてしまった。

 ところが、シューマンのこの作品の後には、ブラームス、ドヴォルジャーク、フランク、フォーレ、ショスタコピッチなど、ビアノ五重奏曲の名曲は目白押しとなる。しかし、そうした中で一番親しまれているのは文句なくシューマンのそれだろう。

 この編成の成功作が出るのが遅れたのは、合奏曲としては最も簡潔で完成された形式と言われる弦楽四重奏に、ピアノというそれ一台だけでひとつの世界を持つ楽器を調和させて拮抗させるというノウハウを確立することのたいへんさにもあったのではないかと思う。

 しかも、ピアノという楽器そのものが、当時メカニカルな機構の点で日進月歩に改良され、オーケストラとも拮抗しうる派手な表現力の楽器へと変化しつつあった。リストのようなとてつもない天才的な演奏技巧の持ち主が現れ、ピアノは最も「センセーショナルな」楽器となっていった。

 現実に演奏会に行かれた方はご存じのように、録音の際に音量バランスを調整できるCD等とは異なり、ピアノという楽器とソロの弦楽器の音量差は実は大変大きなものなのである。ひとつ間違うと弦楽四重奏の方がピアノの添え物的伴奏に過ぎなくなる。弦楽四重奏そのものがすべての声部を調和よく表現する形式である以上、ピアノという楽器が「浮いて」しまう危険は大変大きいのである。

 後述するように、シューマンは弦楽四重奏のための習作には実に早くからチャレンジし、ハイドンやベートーヴェンをとことん研究していた。そして「室内楽の年」1842年には、一気に3曲の弦楽四重奏曲をごく短期間にたて続けに作曲して、Op.41という作品番号を与えて公刊することとなる。

 それらの四重奏曲は、十分に練り上げられた構成力にシューマンらしさが見事に融合したかなり優秀な作品ではあるが、聴いていて何か奇妙な物足りなさが残る。これはベートーヴェンの場合には全く感じないことなのだ。「何かが足りない」。シューマンは結局その奇妙な欠落感を、自分が得意とするピアノという楽器で埋めるしかないと自然に考えるに至ったのだろう。ある伝記作家は「弦楽四重奏では家庭音楽会でクララに出番がなくなるので」と述べているが。

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 この曲を最初に聴いた経験は、私としては珍しく有名演奏家たちのライブである。中学時代、我が故郷、福岡県久留米市の、音響の良さで知られる石橋文化ホールに、「ヴィーン八重奏団」が訪れたのだ。この楽団の実体は、CDでいうところの「ヴィーン室内合奏団」だったのではないかと思う。第一バイオリンが、テレビのライブ中継でもおなじみの、先頃山歩き中の墜落事故という不幸な最期を遂げたヴィーン・フィルの名コンサートマスター、ゲルハルト・ヘッツェルだったのをはっきりと覚えている。ピアノはデムス。曲は地方での巡業公演らしく、モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークの弦楽四重奏版、シューマンのピアノ五重奏曲、そしてシューベルトの「ます」五重奏曲という超ポピュラーなもの。

 当時の私は室内楽曲は聴き始めたばかり、「ます」五重奏曲、「アメリカ」、ベートーヴェンのラズモフスキーの3番ぐらいしか意識的に聴いたことがなかった。「アイネ・クライネ」の、いまにして思えば何とも贅沢な弦楽四重奏版の小粋な演奏の後、ビアノのデムスが登場して、はじめと聴くシューマンのピアノ五重奏曲がなり始めた瞬間の「身体の感じ」を私は実によく覚えている。モーツァルトの時にはまるで感じられなかった分厚い和音の圧力が、予想もしないくらいの強さで身体を圧迫してきたのである。ほとんど骨が振動するような響きで。

 実はこのときのシューマンの曲の印象は、今やこの部分しか残っていない。いまにして思えばこの曲とするとずいぶんゆったりとした演奏だったように記憶する。しかし、室内楽の響きもこれだけ「身体に響く」ものになり得るという体験は私の中にしっかりと刻印されたのである。

 この曲との再会は大学学部生時代にFMで聴いたゼルキン/ブダペストQの演奏で、このときはじめて私はこの曲の真の虜となる。

     

    2.シューマンの室内楽への道 

 クララの父、フリードリヒ・ヴィークとの訴訟に勝ち、クララと結婚した1840年、ロベルトは突然それまでのピアノ独奏曲一辺倒をやめ、歌曲ばかりを作曲する。この年が俗に「歌の年」と呼ばれるのはよく知られたとおりである。そしてその翌年、1841年には一転して交響楽的作品の作曲のみに集中したため、「交響曲の年」と呼ばれる。これには、第3回で述べた、1938-9年のロベルトのヴィーンの滞在期間中に、シューベルトの「ザ・グレート」を発見したことの刺激が大きいと一般にはいわれるが、「作曲家として認められるには交響曲で認められないと」とクララがけしかけたという側面も大きいらしい。

 その更に翌年、1842年「室内楽の年」と呼ばれることになるが、この引き金は、ひとつには、新婚のシューマン家で友人たちを招いて頻繁に催されるようになった家庭音楽会の影響が大きいらしい。できあがった曲をすぐに試奏して手直しできるという環境が、シューマンの室内楽作品に、他のジャンルの作品に比べると推敲が行き届き、奔放さよりも緻密さやまとまりが勝った曲を多く生み出す原因にもなったろう。同じライブツィヒで活躍するメンデルスゾーンとの親友関係の深まりの中で、メンデルスゾーンの完成された古典的教養に基づく様々な示唆も刺激を与えたようである。

 実際、完成した室内楽曲をまずはメンデルスゾーンに見てもらうということが少なくなかったようである。そもそもこの年完成された3曲の弦楽四重奏曲はメンデルスゾーンに献呈されている。少し後の時期になるが、すでに先ほど述べたメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番ニ短調を、ロベルト自身「楽器間のバランスがすばらしい」と絶賛しており、自身のピアノ三重奏曲第1番ニ短調Op.63を執筆する引き金となったことは有名である。すでにヴィーン時代に始まったシューマンの古典主義への傾斜はかなりの程度メンデルスゾーンへの私淑の影響だろう。

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 だが、シューマンの室内楽へのチャレンジは、この1842年に突然ふって湧いたわけではない。十代のうちから数限りなく試みられていたのである。友人たちや恋人時代のクララへの手紙にも、繰り返し、「今弦楽四重奏曲を書いている」という言及はある。「まだ習作だけれども」と書いたときもあれば、「今度のはハイドンと同じくらいにすばらしい」と自賛したりもしている。しかしそれらは皆完成作として世に問われることはなかった。

 唯一、1842年より遥か以前に作曲されて、ほとんど公刊寸前までいった室内楽曲がある。それは、1829年、まだロベルトが18歳の時に書いたピアノ四重奏曲ハ短調である。この曲は後に一度Op.5の番号を与えて出版することも考えたようだが、結局取り消された。この曲は1979年というかなり最近まで出版されなかったが、ついに1991年、プレヴィンのピアノにバイオリンのヤン・ウク・キムら若手が参加した豪華メンバーでついに世界初録音がなされた(BMG 09026-61384-2。国内盤あり。カップリングはOp.47の有名な方のピアノ四重奏曲)。

 このピアノ四重奏曲は、同じ頃、第2楽章まで書かれてロベルト自身の指揮で初演までされた、俗称「ツヴィッガウ交響曲」(インバル盤[連載第1回参照]、マリナー盤[独カブリッチョ 10 094]があるが、第2楽章はマリナー盤のみ)の散漫さ(特に第2楽章はやろうとしたことは当時の水準を超える斬新な「交響詩的」展開の自由さはあるが、途中で収拾がつかなくなり、ものの見事に空中分解する)と比べれば遥かに聴き映えのする、一度お聴きになっても損はない作品である。

 確かに、いかにもシューマンという作風はまだほとんど見られず、何も知らずに聴かされたら「シューベルトの曲」という人が断然多いであろう。曲に洗練された構成美を与えるのが苦手で、どこか無骨でぎこちないところまでシューベルトの平均的な室内楽曲と本当によく似ている。もとよりシューベルトの和声の微妙な移ろいの味には欠けるが。

 ぎこちないなりに、かなりベートーヴェンあたりを自己流で研究した後が見られ、第2楽章の、一応メヌエットと題されてはいるがプレストの速さで実質スケルツォの楽章など、やや紋切り型で未整理ではあるが、妙にベートーヴェンとシューベルトののスケルツォを足して2で割ったような響きがある。

 第1楽章の開始など、ベートーヴェンのように劇的にやりたい気持ちは痛いほど伝わるが、如何せん、技法が完全に素人臭くて、ドタドタと無骨でぎぎこちないことこの上ないが、妙にその若気の至りの単細胞加減がほほえましい。第1主題を弦のトレモロの伴奏の上で悲愴に歌わせようとするあたりの発想はすでにいかにもロマン派的である。第2主題の旋律の歌わせ方が妙に初期のショパンと似ている瞬間があるのもおもしろい。終わりの方は結構やるナアというくらいにアパッショネートに盛り上がる。その割には最後の最後の「決め」に芸がないのはご愛敬。第3楽章のアンダンテの沈んだ感傷的な歌は、このようなむき出しのメロディは後年のシューマンは使わなくなったので、その「直接性」が妙に感性に訴える。

 第4楽章のロンドなど、ほとんどシューベルトの終楽章のセンスに近い(幸いシューベルトほど冗長ではない)が、例によって付点音符のついたスキップするリズムの和声のところどころに、私たちのなじんでいる後年のシューマネクな香りがほのかに漂う瞬間があるのは妙にうれしいものがある。

 後のシューマンの透き通るような独特のツヤ消しされた旋律美の代わりに、個性には乏しいが、いかにもドイツの多感な若者が精一杯赤裸々に歌い上げる初々しいメロディに、純真なのびのびとした美しさはある。まだ音楽教育がひどく不完全な素人に毛が生えた程度の18歳の若者の作品として見れば、はっきり言ってこれだけ書ければ「うらやましい」といいたくなる。やはりこの時点でこのくらいは書けないと後年のような作品は生まれようがないだろう。モーツァルトやメンデルスゾーンのような英才教育付きの早熟児ではないにしても、やはり凡人とは異次元である。今後演奏会で、ある程度取り上げられてもいい水準の曲ではなかろうか。音楽学校の学生あたりも、その青臭さ自体を面白がって気楽に弾くかも。

 もとより、作品1の「アベック変奏曲」や作品2の「蝶々」といったピアノ曲がすでに到達している歴然としたシューマンの個性や独創性、完成度からすれば、まだ花もつぼみの作品と言うべきで、シューマンが「作品5」の番号を与えるのを取り下げてしまったのは致し方のないところだろう。(ちなみにプレヴィン盤のカップリングの成熟したOp.47のピアノ四重奏曲の方は非常に洗練された名演で、ともに録音もきわめていいことを付け加えておきたい。)

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 さて、1842年の「室内楽の年」に話を戻そう。

 作品42の3曲の弦楽四重奏曲は、6月2日から7月5日の間に第1番と第2番をほぼ並行して行きつ戻りつしながら作曲し、7月5日から22日の間に第3番に専心するという、非常に集中した形で書き進められている。ロベルトはこの曲の直前にベートーヴェンの後期の四重奏曲を熱心に研究した形跡があり、なるほど、形式的にはベートーヴェンほど自由ではなくてむしろ型にはまっているのだが、響きの作り方や和声の移ろいの質などの点で、ふとベートーヴェン後期のニオイが漂う瞬間があるのも確かである。

 第1番イ短調はそうした中では一番古典的なソナタの形式に気を使いながら書いた作品で、その分主題の推移や展開をきちんと技術的にこなすことにエネルギーが割かれ、やや杓子定規な堅苦しさ・平板さもあるが、第一楽章の序奏に続く主部の冒頭のファンファーレはいかにもシューマネスク、その後に続く第1主題のツヤ消しされたなめらかな歌い回しは完璧にシューマンの美学である。第2楽章スケルツォはピアノ曲などで見られるあのカッコのいいシャキッとした前のめりのリズム感。シューマンが聴いて感激したマルシュナーのビアノ三重奏曲ト短調に影響されているとのことである。終楽章の第一主題のドラマ性など、「クライスレリアーナ」のある種の曲の悲愴美に通じる。第2主題が、低音部がスコットランドのバグパイプの持続音のような独特の効果を持つのもおもしろい。

 私はこの曲を弦楽合奏版で弾いてみたら結構生えるのではないかという気もする。それどころかシューマン風のツヤ消しされた楽器法で管弦楽編曲版を作ってみてもおもしろいかもしれないと思うのだが。是非第一楽章の第一主題を大オーケストラのたゆとう弦楽器群で聴いてみたいのである。

 第2番へ長調は形式的にはより自由であり、第一楽章でもその分旋律がのびのびと草書体で歌いまくるという印象がある。弦の音の絡み合いも第1番より自然な「濃さ」があるようにも思う。第3楽章のスケルツォがいかにもシューマンにしかできない、大胆に音程が上り下りしながら「這い回る」不思議な幻想味があるもの。伴奏部のアクセントの臨機応変なずらし方がおもしろい。終楽章は一転してハイドン風の常動曲的な軽快なもの。しかしこの旋律の歌わせ方や、和声の移ろいの質は完全にシューマンのものである。

 第3番イ長調は、1番と2番の作曲が終わってから直ぐに着手したにも関わらず、曲に込められた叙情の自在な深さという点でははっきりとした進歩が見られ、形式的にもより独自性が増している。いろんな意味でプラームスの室内楽曲に通じる響きがあちこちで見られる曲という点でも興味深い。

 第1楽章は、一見前の2曲よりも渋い世界だが、ベートーヴェン後期の叙情性に一番迫る質がある気がする。3曲の中でこの曲が一番いいと私が思い始めたのはごく最近である。かなり通好みな世界だとは思うが。ちなみに冒頭のla-reの下降動機は、例によってClaraの名前を読み込んだものである。

 第2楽章のスケルツォが何とも独創的。何と変奏曲である。この変奏が進むに連れて響きがどんどんブラームスじみてくるあたりに驚かれる方もあるかもしれない。第4変奏の「大の男のすすり泣き」のような情熱の質など、ここだけ取り出したらブラームスの曲の一部と思う人が多いだろう。確かブラームス晩年のクラリネット(ヴィオラ)ソナタの中にかなりこの楽章と似た響きの変奏曲の楽章があったと記憶する。第3楽章の渋くて枯れた歌い回しなども、かなりブラームスに通じる響き。これは私の勘に過ぎないが、ブラームスはこの第3番の曲から学んだものが実に多いのではないか。

 ……一転して終楽章は、ここまでのくすんだ渋さを投げ捨て、突然ぎらぎらとした日差しの世界に回帰する。完璧にシューマンそのものの大胆極まりないシンコペーションと付点音符の競演というべき独創的なリズムの、ノリノリな風通しのいい明快そのものの明るい躁的な楽章。このリズムのノリは一度聴くとクセになる。ただ、やはり、この弾むリズムは、発想がどうみても弦楽器的ではない。弦楽器の深い線的な絡みの叙情の世界を自分なりに深め尽くした途端、突然シューマンの中に、久々にピアノの打楽器的な機敏なリズムの快感への虫がうずきだしたのではないか。

 なるほど、この次には、ピアノ付きの室内楽を作るしかなくなるのである。弦楽四重奏曲第3番の脱稿が7月22日。それからちょうど2ヶ月後、9月23日にピアノ五重奏曲の最初の草稿が書き始められる。

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*なお、この項の執筆においては、「作曲家別名曲ライブラリー 23 シューマン」前田昭雄編 音楽の友社 1995 における、門馬直美氏によるシューマンの弦楽四重奏曲の解説(pp.77-88)と、ユボー(P)/ヴィア・ノヴァQを中心とする「シューマン室内楽全集(エラート B23D-39110〜15)の、同じく門馬直美氏によるライナーノーツを大幅に参考にさせていただきました。

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