私の好きな曲とCD(第3回)  96/08/06更新


  



ヴィーンの謝肉祭の道化 Op.26
 

作曲:1839年
出版:1841年


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INDEX

1.「謝肉祭」Op.9ではありません!

2.ヴィーンの街へのオマージュ

3.曲の構成

4.所有CD全紹介

5.次回予告



   1.「謝肉祭」Op.9ではありません!

「ヴィーンの謝肉祭の道化」Op.26であります。

 ……などと一応断っておいた方がいいかもしれない。シューマンのピアノ曲の中では比較的有名ではない曲であり、「そんな曲があったの?」という人も結構いそうなので。それでも今回CDを18種紹介できるわけなので、これまで取り上げた曲の中では一番メジャーなはずとも言える。「謝肉祭」Op.9、「蝶々」Op.2あたりと組まれていることが多いので、おまけのようにして聴いたことがある人は少なくないかもしれない。

 例によってかなりのシューマン好きすら戸惑わせるであろう「フェイント攻撃」であると自負している。ビアノソナタ第1番Op.11とか幻想小曲集p.111(Op.12ではない!)のあたりからはじめる方がよほど「マニアっぽい」であろう。この2曲とも好きなのでいずれ取り上げたい。

 この曲をシューマンのピアノ曲の1番手として取り上げるというのも、この「ロベルトの部屋」第1回を「序曲、スケルツォとフィナーレ」Op.52ではじめた時と似たような理由による。つまり、大変親しみやすい曲の割には有名ではないのが理解しがたいと長年思っていたからなのだ。

 連載第1回で書いたように、この曲はシューマンの多楽章のピアノ曲の中では、3曲のピアノソナタ以上にピアノソナタ的な古典的構成感があり、例えばベートーヴェンのピアノソナタになじんでいる人とかは非常に入りやすい作品のように思う。特に第18番変ホ長調Op.18 No.3(あだ名のない中期のピアノソナタの中では最高傑作。この曲の第2楽章の2拍子の常動曲的スケルツォは、シューマンの第2交響曲のあの独創的な2拍子のスケルツォの手本だと思う)や「ワルトシュタイン」、「告別」ソナタあたりとかなり共通の雰囲気もあるし、一部の楽章で明らかな影響を指摘する音楽学者もあるようだ。

 この「ヴィーンの謝肉祭の道化」は、5つの小曲から成り立っているのだが、

「第1楽章」 ロンド
「第2楽章」 静かな緩徐楽章
「第3楽章」 諧謔的なスケルツォ
「間奏曲」  スケールの大きいロマンスに寄り道
ソナタ形式の実に輝かしくて開放的な「フィナーレ」

という、古典的なソナタとして位置づけることも可能なのである。

 まさに偉大な古典派の先人大作曲家たちが暮らした音楽の都、ヴィーンに対するシューマンの敬意の表れがこの曲の古典派ソナタ的な構成を生み出させたという意見もあるようだ。(もとより「第1楽章」がロンドというのが古典派的ではない。
 だが、このロンドこそがこの曲の鍵を握る特異そのものの部分なのだ。
後述するように、私はこの第1曲……ベートーヴェンのピアノソナタからの明白な引用を含む……を、ロンドを偽装したソナタ形式ではないかと判断しているのだが)。

 ベートーヴェンの死後、ピアノソナタが聴衆に受容されていく歴史において、リストと共に特別の役割を果たしたのがシューマン夫妻であることは意外と強調されていないかもしれない。
 クララが実は保守的な感性の持ち主だったということは以前にも書いたが、実はクララはベートーヴェンのピアノソナタが最初は「全然わからなかった」そうである。そういうクララにベートーヴェンのピアノソナタの価値を熱心に説き、演奏解釈の仕方について徹底的にコーチしたのがロベルトらしい。
 シューマンの死後、この「コーチ役」はブラームスとヨアヒムに引き継がれ、リストが公開の演奏活動から一時期完全に身を引いた頃からは、まさにベートーヴェン・ルネッサンスの牽引者としての役割をピアノ曲の分野でクララは一身に担うのである。もとよりそのクララですら、後期ソナタをレパートリーに加える決心をするのはかなり後年になってからだったらしいが。

 ただし、誤解なきようにいいたいのだが、形式面でいつになく「古典ソナタ的」とはいえ、この作品の曲想は優等生からはほど遠い。曲の内容はいかにもシューマンというべきリズミックで奔放なファンタジーの飛翔に満ちている。深刻ぶることが皆無、開放感の大きさと明快さという点ではシューマンのピアノ曲の中でも一方の極にある。ただし、シンフォニックな響きを要求する演奏技巧の難しさも超一級。一見簡潔とも言えるけれども、むしろその明快な枠組みの中で単純な動機をくどいまでに反復する中でファンタジーをどんどん増殖させていく。

 この曲はひたすら前向きな生気が失われるとひどく単調な曲として響く危険もある。変に部分部分の小細工をし過ぎると曲の流れが停滞する。そのあたりが今一つピアニストに弾かれない原因だろう。録音はともかくライブとなれば、よほど自信があるピアニストでないと弾くのを躊躇するだろう。シューマンのピアノ曲には、「経験論的」なショパンとは異なり、ピアニストの都合などお構いなしに複雑な創意を盛り込む傾向が強い。

 シューマン自身、この作品のことを当初「ロマンティックな大ソナタ」と名付けようとしていたようである。それを取り下げさせた一つの原因は、例によって古典的なソナタに関するシューマンのベートーヴェンへのコンプレックスのせいかもしれない。「序曲、スケルツォとフィナーレ」と同じく、この曲もまた、タイトルのなじみにくさで損をしている曲という気がしてならないのだが。

 この曲のタイトルのなじみにくさは日本語訳をこなれたものにしにくいという問題もあるようである。ドイツ語では、Fashingsschwank aus Wien であり、英語にするとCarnival Jest from Viennaとなる。Schwank(jest)をこれまで通例「道化」と訳してきたわけである。この訳でも間違いではないのだが、最近では「ヴィーンの謝肉祭さわぎ」という訳も見かけられる。こちらの方がふさわしいかもしれない。私ならば「ヴィーンの謝肉祭の悪ふざけ」とかも可能かなと思う。

   

    2.ヴィーンの街へのオマージュ

 1938年の秋から半年ほど、シューマンはヴィーンに滞在する。ライプチヒで創刊した「音楽新報」の拠点をヴィーンに移したいというのが一番の目的だったようだ。

 当時、ロベルトとクララとの結婚に反対する、クララの父フリードリヒ・ヴィークとの関係は最悪になりつつあった。二人は直接会うことは禁じられ、手紙もロベルトとクララの共通の友人によって極秘裏に手渡しされた。ヴィークはシューマンについての悪い噂をクララに吹き込み、ライブチヒを離れた外国の都市での演奏会を次々企画してクララを連れ回し、シューマンと連絡が取りにくいようにもした。

 そういうヴィークに、音楽の都ヴィーンで一旗揚げて自分にも実力があることを示したいという思いがロベルトを駆り立てたようである。しかし結局ヴィーンでの雑誌創刊の計画は挫折した。ヴィーク自身が悪い情報をヴィーンの関係者に流して足を引っ張った形跡すらあるようである。

 しかし、ロベルトにとってこのヴィーン滞在は幾つかの成果を上げた。一つは、シューベルトの兄フェルディナントと知り合いになり、かのバ長調交響曲「ザ・グレート」の自筆譜が残されていることを突き止めたことである。そしてそのシューベルトが眠る墓地を散策したときに拾ったペンで、後にあの交響曲第1番「春」の冒頭を書き付けることとなるのである。

 また、作曲の面でも多大な成果があった。「アラベスク」Op.18、「花の曲」Op.19、「フモレスケ」Op.20、「夜曲」Op.23、3つのロマンスOp.28、そして「ヴィーンの謝肉祭の道化」Op.26である。

 実は、これらの曲を最後に、シューマンはピアノ曲の作曲をぱったりとやめて、1840年の「歌の年」、1841年の「交響曲の年」、1842年の「室内楽の年」へと突入してしまう。実際、Op.23までのすべての作品がピアノ曲だったわけであるから、要するに前期シューマンのピアノ曲の総決算というべき円熟した作品がここには並んでいる。

 もとより、このヴィーン時代のピアノ曲は、その直前の時期の曲、すなわち、「謝肉祭(カルナヴァル)」Op.9、幻想小曲集Op.12、交響的練習曲Op.13、「子供の情景」Op.15、「クライスレリアーナ」Op.16、幻想曲Op.17までの曲(シューマンのピアノ曲からベスト6を選べといわれればこの6曲をそのまま並べていいように私は思う)のような、一曲ごとに新境地を開くぎらぎらとした才気のほとばしり、全存在を賭けた魂の燃焼の趣きはない。より静謐で余裕のある古典的なまとまりを持つ大人の音楽へと急速に変貌していくのである。しかし、このヴィーン時代の作品群の方が心休まるという人も少なくないかと思う。

***

 さて、この「ヴィーンの謝肉祭の道化」に関しては、前述の、ヴィーン古典派の偉大な先人達へのオマージュとしての側面と共に、シューマンがはじめて体験した南欧的な色彩すらあるヴィーンの謝肉祭独特の乱痴気騒ぎにインスパイアーされて書かれた曲……と説明されることが多い。特に第1曲、アレグロにはそのような南欧的ですらある「乱痴気騒ぎ」の雰囲気が濃厚である。

 似たような「舞踏の幻想」といいたくなる性格の曲に「蝶々(パピヨン)」Op.2「謝肉祭」Op.9がある。後者の中に前者のメロディが引用されるなど、この2曲は文字通り姉妹作といっていい作品だが、これら2曲は、ほとんど「ピアノによる交響詩」といいたくなる独特の性格を持つ。つまり、シューマンは「舞曲」そのものではなくて「空想された舞踏会の幻影」を描いているというべきなのだ。

 このあたり、ウェーバーの「舞踏への勧誘」が、冒頭の序奏とコーダで紳士と淑女の挨拶を描写したとされながらも、それらに挟まれた主部は「舞曲」以外の何者でもないのとはすでに次元が異なることをシューマンははじめている。
 「蝶々」の終結部、舞踏会が終わり、ファンファーレと鐘の音が鳴り響く中、踏みっぱなしのペダルの和音の中から、一つずつ鍵盤から指を離して余韻が宙に消えていく様を表現するという手法など、当時はほとんど前衛的な演奏技法だったと思われるが、ほとんどオーケストラによる交響詩のようなデリケートで幻想的な心象風景の移ろいの描写というべきだろう。こういうことを「作品2」でやっていたのがシューマンなのだ。

 ところが、この「ヴィーンの謝肉祭の道化」の場合には、そのような「舞踏の幻影」といいたくなる性格は第1曲には顕著だが、第2曲以下はあくまでも古典派ソナタ的な構成の中に回帰していくところがある。この曲の演奏頻度や知名度が今一つなのは、そのような、第2曲以下との性格のギャップを調和させることの難しさにもあるのではないかと思う。

 しかもこの第1曲自体、なかなかのくせ者である。ズン・チャッ・チャとキチンと3拍子を踏みしめて旋律的なメロディが流れてくれる音楽ではない。このようなズン・チャッ・チャのノリなら、「蝶々」や「謝肉祭」の個々の曲ではかなり見られたのである。それがここでは、いわば音楽が「3ビート」ではなくて「12ビート」になっているのである。
 この、宙を舞うような飛翔感は、むしろラヴェルの「ラ・ヴァルス」の世界に繋がるもののようにも思える。短くで単純な動機が、ほとんど後ろからせっつかれるような独特の前のめりのリズムの中で前へ前へとどんどんあおられて螺旋状に猛スピードで「旋回」していくのだ。

 この第1曲を、フランスの古いロンドの様式、と解説しているものもある。確かに、詳しくは後述するように、主要主題A5つのエピソードがほぼ交互に現れる、見かけ上はシンプルな構造。ただし第4エピソードはその中に更に幾つかのエピソードを内包する長めのもの。私としては、この第4エピソードを「展開部」とする一種のソナタ形式と見ることが実はできる気がしている。まさにロンドに偽装された「ソナタ形式の第1楽章」というわけである。

 しかし、この第1曲、聴いていると完全に奔放そのものの舞曲である。ねぶた祭りか阿波踊りのお囃子を聴いている気分にもなり(もとよりシューマンのこの曲は3拍子だが)、その意味ではいかにもカーニバルが町中を練り歩くという感じに近くなる。民衆の野放図なエネルギーの爆発とも言えるし、リズムの強迫的な繰り返しの中にいかにもシューマン的な「病熱」をかぎ取る人もあるかもしれない。単純なくどい繰り返しの中でどんどんトランス状態に入っていくようなノリ。

 ともかく、この第1曲のノリをうまくつかめるかどうかが演奏の正否をほとんど分けてしまう。余り細かい細工をしすぎると逆に冗長な音楽になり果てる。少なくとも一つのエピソード全体には共通した性格を与え、それ以上細かく小技を使おうとしない方がいいようだ。リオのカーニバルを引き合いに出すつもりもないが、この作品、ラテン系のピアニストにおもしろい演奏が多いのも事実である。

 ちなみにこの第1曲の4番目のエピソードに唐突に「ラ・マルセイエーズ」のメロディが三拍子で現れ、瞬く間のうちに立ち去っていく。当時のヴィーンではメッテルニヒがこの曲を「歌う」ことを禁止していたらしい。シューマンは「ヴィーンの」謝肉祭の喧噪の中にこのメロディを忍び込ませてメッテルニヒを皮肉っているわけである。ちなみにこの「マルセイエーズ」の部分、さりげなーくあっさりと登場して何もなかったかのように姿を消し、「あれ? 今何か……」と感じさせるあたりに「ざまあみろ、してやったり」的なイタズラ心の効果があるのだから、このメロディをいかにも「めだつ」ように「意味深」に弾く、メッテルニヒの秘密警察につかまりかねない演奏は、シューマンの意図ではないと思う。

  

    3.曲の構成

   1.アレグロ きわめていきいきと 変ロ長調 3/4

 すでに述べたように、極めて快速のシンフォニックとすら言えるロンドである。付点二分音符、すなわち三拍子の一小節を一分間に76回とシューマンは指定している。ほとんどの演奏がこのテンポはほぼ遵守している。このように一小節単位でメトロノームを指定したあたりにも、この曲の場合に3拍子を一つ一つズン・チャッ・チャと拍節感を明快に刻むのではなくて、一小節全体で一つのアクセントとして、まるで円を描くかのように演奏することをシューマンが期待していることが現れていると思う。

 確かにこのスタイルはドイツ風というよりフランス風であり、前述のように「ラ・ヴァルス」あたりを想起させるところがある。しかも、伴奏音型が素直にズン・チャッ・チャすることは全くに近くなく、凝った分散和音の音型で進むことが多く、しかも声部が錯綜し、メロディと伴奏が渾然と一体化しているあたりも、よほど引き込まないと3拍子のリズムが崩れてギクシャクしてしまうだろうし、ペダリングを含めてどのようなバランスで弾きこなすかが難しそうだ。しかもメロディが流れるというより和音の柱のような小さな動機を繰り返していくという感じなので、たおやかな舞曲というより、リズムのダイナミズムのうねりでバリバリ進む音楽となる。

 すでに述べたように、一応、A-1-A-2-A-3-A-4-5-A-2'-コーダ、という形の、主要主題Aと5つのエピソードがほぼ交代交代に現れるロンドと位置づけられる。

 冒頭いきなり登場する主要主題Aは、8小節単位の(a-a)-(b-a)の32小節の構造になっている。ただし、最初に登場する場合のみ、このうちの(b-a)の部分が反復される。bの部分がいかにもシューマン好みの少し飛躍のある和声進行である。この主要主題Aは、基本的には5つのエピソードと交代交代に伴奏を含めて同じ形で繰り返し舞い戻るのだが、第1エピソードの直後に回帰するときにのみ、この中のbの部分の和声進行が、より跳躍度の大きなものに改変され、彩りを増している。

 次に、5つのエピソードそれぞれについて。

 後述のラローチャ盤の外盤の解説をしているLionel Salterによれば、これら5つのエピソードはそれぞれ5人の作曲家の作風を暗示しているとのことなので、それらについても言及していきたい。

 エピソード1は、短調だが、この第1曲の中では珍しい、メロディアスでピアニステイックなもの。装飾音や前打音がかなりついているだが、Salterによればこれはショパンを暗示するという。なるほどと思う。主要主題Aの唐竹を割るような性格と対照的である。

 エピソード2は、二分音符と四分音符が対になったリズムですべての声部が進行する長調の静かなもの。Salterはシューマン自身のピアノ協奏曲Op.54の第3楽章の主題との類似を指摘する。つまりシューマン自身が登場するというわけだ。もっともピアノ協奏曲の主題にこれとそっくりなのがあるとは思えないし、この当時まだピアノ協奏曲の第3楽章は作曲されていないはずである。むしろ、クライスレリアーナOp.16の第7曲の後半部分に現れる、静かなコラール風の慰めに満ちた旋律のリズムパターンを3拍子に変えたものという方が遥かに似ているだろう。

 エピソード3は再び短調だが、憂いを含みつつも軽やかに細やかな音が宙を舞う。これをSalterはメンデルスゾーンだというのだが、これはなるほどと思う。「真夏の夜の夢」や弦楽八重奏曲に見られるような、メンデルスゾーンお得意の妖精的なスケルツォの様式に確かに似ている。

 エピソード4は何かしらこれまでと雰囲気が一転する。起承転結のまさに「転」の部分に入ったという印象。この部分全体をソナタ形式の展開部として位置づける方が私としてはスッキリする気がする。これまでのエピソードと異なり、このエピソード自体の中に複数のエピソードが組み込まれているとも言える。他のエピソードよりかなり長い。Salterはこの部分をシューベルトのワルツだと述べているが。そのようにまとめるにはこの部分は多様なものを内包し過ぎてはいまいか。

 最初の部分はやや軍楽調とも言える勇ましいリズミックな長調の部分。ピアニストはこんな和音をたたいていたらさぞ気持ちがいいのではないかと思う(4a)。続いて、少しトーンを落として遠くの方からホルンのエコーが何回も交錯するような効果を出し(4b)、その直後に突然、フォルテで8小節だけ、例の「ラ・マルセイエーズ」が、さりげない顔して堂々と現れる(4c)。

 ここで再び(4b)の反復。このあとでもう一度「ラ・マルセイエーズ」か! 今度出てきたら逮捕だ! とメッテルニヒの秘密警察の連中が身構えたところで、それを見事にはぐらかすように、がちゃがちゃとしたかき回すような別の旋律がフォルテで出てあたかも終結するかのように見得を切る(4d)。実はこの(4d)の旋律は性格的に見て主要主題Aと類似しているが、後に更に拡張されてこの第1曲のコーダとして再び使われる。

 この後に引き続いて、ここでだけ主要主題Aの再現を挟まないまま(前述のように直前の4dが主要主題Aと共通した性格を持つため、代理しているといえる可能性もある)、そのまま静かな第5エピソードに入る。第2エピソードとリズム音型は実は同じだが、音程の跳躍が大きい、より甘やかなトーンのある新たなメロディである。ミケランジェリドコフスカは、この部分に、前後とは異なるデリケートな音色感覚を駆使し、見事な聴かせどころとしている。Salterによれば、ベートーヴェンのピアノソナタ第18番変ホ長調Op.18 No.3との明白な関連があるという。これは確かにその通り。第3楽章メヌエットのトリオの部分の冒頭の動機が、調性もメロディもそっくりである。これに関してはシューマンが意識的にベートーヴェンを引用した可能性は確かにあると思う。

 さて、この第4エピソード以降の部分はソナタ形式でいう再現部に当たるようにも思われる。主要主題Aの再現に続いて、再び第2エピソード、すなわち、シューマン自身の「クライスレリアーナ」からの引用と考えられるものが回帰する。いわばソナタ形式の「第2主題再現部」的効果を持たせたのかもしれない。

 ただし、この第2エピソードの再現は中途で手短にプツンと弱音のまま途切れ、弱音の静かな余韻ある新しい旋律へと繋がっていく。ここからがコーダだといっていいであろう。いかにも精力的なロンドの喧噪の後の余韻という感じになった後、最後に再び急速なエピソード4dが少しラストを拡張された形で現れ、華やかな和音と共に終わる。

  

     2.ロマンツェ かなりゆっくりと

 ト短調、2/4拍子の静かな叙情的な旋律の主部に、ハ長調、3/4拍子の中間部がはさまる三部形式。

 カーニバルの喧噪と興奮の後、静寂が戻り、人通りも絶えた街角で、放心状態のロベルトは、ふと我に返り、クララのいない我が身の孤独にひたるのであった……

 ……などと、標題楽的に解説しなくてもいいかもしれないが、実際、この静かで、音がポツン、ポツンとなる風情のゆっくりしたロマンスは、クララ(C-la-ra)の名前を意識的に音名として読み込んだ下降動機に基づいて作られているらしい。

 そうだとすると、ロベルトは「クララ、クララ……」と、前半で6回、後半で3回、計9回繰り言をいっていることになる。繰り言をいう度に旋律線とそれを支える和声は微妙に移ろう。このへんはかの「トロイメライ」と共通するデリケートな変奏の手法とも言える。もとよりこちらの曲では途中にほのかに明るい中間部が入るわけだが。

 第1曲の精力的な音楽からすると非常に落差のある散文的な静かな音楽である。しかし、ここでこれだけ静けさを取り戻せてこそ、この後の精力的な後半部分との間に見事なインターミッションが生まれると言っていいであろう。

 3分前後の短い曲で、第1曲の余韻をさますうちにいつの間にか終わっているという感じであるが、ロベルトのクララへのモノローグというべきこの楽章は、第三者がそんなに集中力の固まりになって耳をそばだてなくてもいいのかもしれない。ここでは下手にロベルトに話しかけるべきではないのだ。そっとひとりにしてあげよう。ロベルトは我々を置き去りにした物思いからすぐに醒めて、再び一緒になってカーニバル見物をはじめてくれるだろう。

 しかし、実演で、第1曲が終わってすぐにこの「密やかな」音楽に切り替えて繊細なタッチで演奏しなければならないピアニストも大変だろう。中途半端な若手だと、この部分を小手先だけでぎこちなく所在なげに弾いてしまい、一気にボロが出る可能性もあると思う。

   

     3.スケルツィーノ 変ロ長調 2/4拍子

 A-B-A-C-A-コーダというロンド形式のスケルツォ。

 鬱から躁へ。再び陽気でウイットに富んだ陽気なロベルトが帰ってくる。ひょうきんでどこか人を食ったようなユーモアのある、シューマンお得意の付点音符のついたリズミックなスケルツォ。

 この曲にはピエロのパフォーマンスともいいたくなる雰囲気がある。笑いながら見ていたらいつの間にか舞台の上に引き出されてピエロの芸に巻き込まれてこちらも観客の物笑いの種にされているかもしれない。そうこうするうちに、ピエロは帽子を観客達に回してコインをいれて貰うと、「おあとがよろしいようで……」とばかりにそそくさと立ち去ってしまうのである。そういう、微かな毒がある曲だと思う。

 シューマンのこの種の諧謔的な性格的小品としては、短くて簡潔ながらも最高の完成度のものの一つだろう。一度聴いたらこのリズミックな主題は妙にクセになります。

    

     4.インテルメッツォ 極めて大きなエネルギーでもって

 変ホ短調 4/4拍子。「間奏曲」と銘打ちつつも、何ともスケールが大きい、音の奔流の中で歌い上げられる、クララへの臆面もないロベルトの「愛の賛歌」とでもいいたくなる曲である。

 細やかな音型の伴奏の中に浮かび上がる、壮大であると同時に何とも細やかな親密性を込めたピアニスティックなメロディ。変ホ短調から変ロ短調、変イ長調へと刻々と移ろう音の色彩。曲は、壮大な盛り上がりの中で、音の大気の中に静かに夕陽が沈むように消えていく。

 ピアニストがこの曲に必要な「極めて大きなエネルギー」を込めて演奏できる限り、シューマンのピアノ曲の中でももっとも演奏効果の高い叙情曲のひとつとして記憶されるとなる素質がある。未聴の方は、是非、いい演奏で一度聴いて下さい。

    

     5.フィナーレ 極めて元気よく 変ロ長調 2/4拍子

 第4曲にも増して輝かしいピアノの技巧とエネルギーを必要とする、「フィナーレの鏡」といいたくなるくらいのカタルシスのある、何とも鮮やかで爽快な終曲である。私がもっとも好きなシューマンのピアノ楽章のひとつ。この曲のみが、シューマンがヴィーンからライプチヒに引き上げた後で書かれたとのことである。

 冒頭から、強烈なタッチで下降する和音がファンファーレのように叩きつけられる。しかもその和音のさなかにすら、めざましい技巧での下降するパッセージがダブらされており、どうやったらこんな風に弾けるんだというぐらい。恐らく、ベートーヴェンの「告別」ソナタの終楽章の経過句の入りと同様に、ペタル操作で小節最初の音を引き延ばせるようにした上で、それに絡む声部のパートに指を置き直すのではなかろうか(実際、この曲全体に、「告別」ソナタの終楽章、「再会」に合い通じる喜びの爆発のような側面が強いように思える)。すでに「蝶々」の終曲の例で示したように、ペダルの操作という点では、シューマンの曲には当時のピアノの性能の極限に近い前衛的な使用法のものが少なくない。

 ファンファーレに続いて、モーツァルトの「魔笛」序曲の第1主題にも似た精力的な第1主題がバリバリにスフォルツァンドを決めながら驀進をはじめる。このあたりのセンスは非常にベートーヴェン的とも言えるかもしれない。

 それに続く第2主題。細やかな音の波の伴奏の上にしっとりと浮かび上がる清澄で繊細で伸びやかなピアノの歌。この旋律の最後の部分が高音域で歌われるのに続いて、低音域でリフレインされる瞬間こそが、私がシューマンのすべてのピアノ曲の中で一番恍惚を感じる瞬間なのである。

 ここは、ひょっとしたら、クララの愛の言葉にロベルトが「僕もだよ」と応えている部分なのではないかという気もする。このへんの独特の余韻感となると、ベートーヴェンというよりはもはや完全にシューマン自身の世界という気がする。

 提示部は反復され、展開部にはいる。提示部以上に複雑で輝かしい、ホント、どうやって弾いてるんだといいたくなるくらいのファンファーレが調性を変えて登場、第1主題が再び再現されるかに見えて、途中からすぐに全く新しい短調のモティーフによる、低音域と高音域の対話が始まる。クララとロベルトの言い争いのようにもきこえる。

 実際、当時の二人は、手紙のやりとりの中で、互いの気持ちを牽制しあうようなやりとりを山のような重ねている。この曲には献呈者がないが、クララとの仲直りのためのクララに捧げた曲としての性格が強いことが、この曲をめぐる残された二人の手紙から読みとれるらしい。

 この、やや不穏な葛藤じみた曲の展開も、再びのファンファーレ、再現部に突入して、再び喜びに満ちた肯定感の中に唱和していくのである。提示部より高いキーで歌われる第2主題がそうした感興を更に高める。

 曲は、圧倒的な技巧を要する輝かしいコーダを徐々にのぼり詰めて、歓喜と祝福の嵐の教会の鐘の乱れ打ちのような和音の連打の中に、ハッピーエンドを迎える。

 終結のエネルギッシュさと派手派手さ加減という点で、この曲に拮抗できるのは、シューマンのピアノ曲では、この曲以外には、交響的練習曲Op.13の終曲ぐらいではなかろうか。しかも喜びを率直かつ伸びやかに歌い上げる流麗さという点ではそれすら越える、シューマンのピアノ曲で最も輝かしいフィナーレなのではないかと個人的には考えている。

     
 

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