私の好きな曲とCD(第1回)  98/03/29更新



序曲、スケルツォとフィナーレ Op.52

作曲:1841年(改訂 1845年)
出版:1846年(改訂版)



INDEX


1.シューマンの交響作品の独自性

2.交響曲全集に入れてもらえない佳作

3.もとはといえばシューマンの命名がよくない?

4.各楽章の構成

5.私の持っているこの曲のCD全紹介

6.次回予告




     1.シューマンの交響作品の独自性

 私は何より「交響曲作曲家」としてのシューマンが好きである。普通ならばピアノ曲や歌曲といわれるであろう。
 とかくシューマンの交響作品には何か一言難癖をつけた上でないと認めてもらえない趨勢がある。曰く、「管弦楽法が未熟である」「ピアノ的な書法が目立つ」ナドナド。
 管弦楽法や曲の構成力についてのこうした「誤解」については、世界的なシューマン研究家、前田昭雄氏らによる非常に熱心な考究によって、今やかなり覆されてきたかもしれない。しかしそれでも、すでに
「シューマンの生涯」の項でも述べたように、ベートーヴェンの次の「偉大な」交響曲作曲家はプラームスであり、「未完成」という超例外を除いたシューベルト、メンデルスゾーン、シューマンの交響曲は、それなりの地位は与えられつつも、何となく超一流とは言えないかのような扱いを受けてきているといっていいであろう。
 しかし、私は敢えて、少なくともシューベルトとメンデルスゾーンの交響曲と比較する限り、シューマンの交響曲は明らかに一歩前進した独自の様式を確立していると言いたい。

 すでによくいわれることであるが、交響曲に限らず、シューベルトとメンデルスゾーンのソナタ的な作品は、実はベートーヴェンの後継というよりも、ハイドンの後継と言う方がすんなり納得がいくような様式感覚をそのベースに持っている。もとより2人ともベートーヴェンを尊敬し、いろんな意味でインスパイアーされていたことは疑いないし、ハイドンに比べると遥かにロマン主義的・文学的な風土の中に育っている、別の時代の人間である。
 しかしそれにもかかわらず、シューベルトとメンデルスゾーンが、ベートーヴェンからは引き継げなかった重大な資質がある。私はそれをここで借りに「伸縮する”時間”感覚」と名付けてみたいのである。シューベルトとメンデルスゾーンの場合、序奏やコーダを別にすると、一つの楽章なら一つの楽章全体が、実は同じテンポの歩みで構成されていることが多い。曲の途中で次第次第にテンポを速めたりゆるめたりするアチェレランドやデュミネンドは、メンデルスゾーンでは稀れ、シューベルトに至っては皆無に近いのではなかろうか。
正直に言ってスコアまで見たことがある曲はごく一部なのだが、例えば未完成交響曲の、聴感上の拍節感がまるで違う第一主題と第二主題の間ですら、シューベルトはスコアに何も変化を指定していなかったように記憶する。

 このようにいうと、例えばメンデルスゾーンの実質的に最後の交響曲である第3番「スコットランド」の第1楽章の内部には、楽譜に明瞭に表記されたテンポや拍子のの切り替えが、単に序奏と主部の間みならず、他にも途中に幾つもあるではないかといわれるかもしれない。しかし、メンデルスゾーンがこの手口をここまで鮮やかに使えたのは、まさに最後の交響曲たる第3番においてなのである。そいうえば、バイオリン協奏曲も第一楽章で何回もあからさまにテンポの変更を求めたかもしれないけれども、この曲もまた、「スコットランド」交響曲と同様に、メンデルスゾーンの早すぎた晩年、最円熟期の作品である。
 実質的に交響的カンタータというべき第2番「賛歌」を脇に置くならば、メンデルスゾーンの正式の番号付きの交響曲は、作曲年代順にいうと、第1番、第5番「宗教改革」、第4番「イタリア」、そして第3番「スコットランド」の順であるが、そのロマン的文学趣味にもかかわらず、第4番までの3曲は、ハイドンの交響曲の構成図式ですっぽり理解できてしまう。
  第3番「スコットランド」と第4番「イタリア」をはじめて比較して聴いた時、「イタリア」の方が予想外に保守的で古典的、「ハイドン的」な交響曲の枠をでておらず、「スコットランド」の方が遥かにモダンな曲に聴こえた人も少なくないのではなかろうか。メンデルスゾーンは明らかにこの2曲の間で大きく成長して、ある限界はあるかもしれないが、ともかく古典派の呪縛を脱してきている。
 だが、メンデルスゾーンをこの呪縛から解き放させる刺激は誰が与えたのだろうか? それはまさに、すでに親密に交際して互いに影響を与えあうことが大きかったシューマンからの影響というべきではなかろうか。裕福な家に生まれ、完璧な音楽的教育を受け、子どもの頃ゲーテに可愛がられるなど、洗練の極といっていい古典的教養を身につけていたメンデルスゾーンに「羽目を外させた」のは、シューマン(あるいはベルリオーズ)という本質的に奔放な天才型の友人からの感化ではなかったかと思える。

 シューベルトの交響曲に至っては、「未完成」を別格的な例外とするならば、メンデルスゾーン以上に、交響曲形式としてはほぼ完璧にハイドンの次元に縛られている。第6番までの作品...個人的にはどの曲も素朴だがチャーミングで大好きなのだが....など、聴いたことがない人にはじめて聴かせたら「ハイドンの曲? 僕は「ザロモン・セット」以外の曲はほとんど知らなくて」などと言い出される確率はかなり高いだろう。
 何しろシューベルトはベートーヴェンの死の翌年に死んだ人である。ベートーヴェンという同時代のスターにあこがれ、刺激をうけつつも、学んだ曲の作り方は完全にハイドン時代そのままとしても仕方がない。もし歌曲が世に知られず、「未完成」と「ザ・グレート」という例外的作品が作られなかったら、シューベルトは、「ハイドン・シンパのそれなりにいい曲を書いた交響曲作家のひとり」というあたりの評価に落ちついたかもしれない。
 もしシューベルトの初期交響曲を聴いていない人がいたら、少なくとも第5番変ロ長調だけは聞いてみていただきたい。シューベルトにしかできない歌心に満ちながらも、完璧といっていいハイドン的な古典的様式感を持った逸品であることに驚かれるかもしれない。これほど「人なつっこい」交響曲は珍しい。

 しかしシューベルトは自分のそういう小市民的な気質にコンプレックスもいだいてしまうという宿命を持っていた。ベートーヴェンのようなドラマとパトスに満ちた大曲を自分も作りたい。「そのためならば歌曲の作曲なんてやめてもいい」とすら口走ることがあったのである。
 だが、どんなに真似ようとしても、シューベルトは、自分の中にある、人の歩むスピードでゆっくり歩む「等速の時間感覚」、まさにシューベルト歌曲お得意の「さすらい」の歩み、ドイツ語でいうところのwandelnの「時間感覚」が肌に染み着いていた。ベートーヴェンのような空間的飛翔感とほとんどバロック的と言える「伸縮する時間感覚」は体質にないものだったのであろう。例えば晩年のピアノソナタ第19番ハ短調は「ベートーヴェン的」とよくいわれる。なるほど、他の曲と比べると明らかにそうかもしれない。しかし、何か非常に基本的なところで「もったり」している。ベートーヴェンにある機敏さ、そしてここでいう「伸縮する時間感覚」の決定的な欠落のせいである。
 シューベルトぐらい、未完成の挫折した草稿が遺され、しかもその多くの断片それ自体が愛しまれて聴かれている作曲家は珍しい。あの「未完成」交響曲以外にも幾つもの「未完成」なピアノ曲や室内楽曲が名曲視されている。
  恐らくシューベルト自身には全くコントロールできないような形で、自我を突き破ってもう一人の悪魔的自分が噴出する瞬間があった。そういう時に書かれた曲は、習い覚えた曲の構成原理などまるで無視して一気に楽想として吹き出す。かなりの場合はソナタ形式の展開部の中途ぐらいで挫折する。運が良ければ特定の楽章ぐらいは、ものすごい凝縮した内容のユニットとして完成にこぎ着けられる。こうして生き延びた逸品が「未完成」交響曲であり、「四重奏断章」なのである。これらの曲では、ほとんどシューベルトの中の別の人格が曲を作っているのでないかといいたくなる不思議な自在さ、気紛れさ、めくるめくドラマがある。しかし、曲の構造分析をするならば、予想外に保守的な枠を守っていることがわかる。
 晩年のシューベルトは独特の開きなおりを見せる。さながら「曲が冗長になってもいい。俺はおれのペースで「歩く」んだ」と宣言しているかのよう。
 そうなった時、奇跡が起こる。もはや型にはまった形式の限界は放置されたまま、それでも異様な深みと心の陰影がデリケートに移ろう。
 こうして最晩年の長大なピアノソナタ、弦楽五重奏曲、そして、交響曲「ザ・グレート」という、シューベルトの器楽曲の至宝というべき作品群が生まれる。
 
 そしてまさにシューマンが「発掘」してこの世に送り出し、自身の第1交響曲「春」を書かずにいられなくなる起爆剤となったのがこの「ザ・グレート」である。第1楽章冒頭の金管の旋律や、第2主題の楽想の持つ雰囲気など、シューマンの第1交響曲のあちこちに、ほとんどあからさまな「ザ・グレート」の影響のあとがある
 だが、この二曲には歴然とした違いがある。それは、シューベルトの曲の方には、同一楽章内部でテンポを切り替えるための指示が、第一楽章の序奏と主部の転換点以外何もないということだ。私がこの曲と出会って以来の愛聴盤のカール・ベーム/ベルリン・フィルの演奏(独グラモフォン 419 318-2 シューベルト交響曲全集)など、第一楽章の内部だけでも、楽想が変わる度に実に細やかなテンポの変更が加えられていて、恐らくこの曲のドイツ伝統の演奏スタイルを見事に洗練させたものといえるであろう、まだ老いの陰がないベームの演奏の持つ味わいを私は今でも愛している。
 だが、しかしこの往年の名盤への最近の批評では、まさにこの「楽譜に書かれてもいないテンポの変化」という点が批判されることが少なくないようだ。ベームをはじめとするドイツの伝統的演奏解釈では、序奏部から主部に入るところで猛然とアチェレランドをかけ、序奏部よりかなりはやいテンポで演奏する主部へと「なだれ込ませる」ことが少なくないのである。一転、第2主題部に入ると、見事なセンスっでテンポを少し緩める。
  原典至上主義の現在ではまさにこの点が「恣意的」というそしりをうける。私からすると、ことシューベルトに限っていえば、本人自身が、楽想の変化に応じて、演奏者が自然とテンポをあげたりゆるめたりすることはむしろ当然のこととして期待していたと思うけれども。もとより恣意的でこれ見よがしな緩急の付け方はシューベルトの趣味ではなかったろう。山道を歩き、少し上り坂になったり、急に視界が開けたりしたら、自然と歩みのテンポが変わる...そのくらいのことはあたりまえのように期待していたろうということである。

 実をいうと、このように第一楽章序奏部から主部に入るときに、鮮やかなアチェレランドを期待して実際に曲を構成しているのはシューマンの第一交響曲の方である。一時期のドイツでの「ザ・グレート」解釈は、ひょっとしたらシューマンの交響曲の様式を、本来シューマンが手本にした「ザ・グレート」の方に逆適用したものではなかったろうか。ちなみに、既に述べたように、シューマンが自分の第1交響曲の特に第1楽章で「ザ・グレート」の楽想の影響をもろにさらしているあたりからすると、少なくともシューマンが頭の中で鳴らしていた「ザ・グレート」序奏から主部への「入り」は、猛然とアチェレランドさせていたのではあるまいか。シューベルト自身はいざ知らず、その発掘の功労者シューマン自身は「ザ・グレート」のアチェレランドを支持する御墨付きを出していた可能性は高いと思う。仮にそれが「シューマンの中にいるシューベルト」の判断に過ぎないとしても。

 いずれにしても、こと純粋器楽曲の分野で、曲の途中で刻々とテンポや拍子を速めたりゆるめたりなどという「はしたのない」ことを臆面もなく楽譜の中で繰り返し指示しているのは古典派ではベートーヴェンぐらいのものである。曲の途中で部分的に拍子を変えたり(「英雄」交響曲のスケルツォ楽章の再現部で唐突に挿入される二拍子の部分)、あるいは8分の6拍子と4分の3拍子のリズム構造を読み変えて、あたかも拍子やテンポそのものを急に切り替えたかのような、ヘミオラと呼ばれる二重のリズム構造を採用する・・・ちなみにこれはシューマンやブラームスになくてはならない得意技となる・・・とか、あの交響曲の歴史で一番論理的な構造物であるかに見える第五交響曲の第一楽章再現部で唐突に挿入されるオーボエのゆっくりしたカデンツァなど。
 スケルツォやメヌエットでトリオをまったく別のテンポや拍子にしてしまうように楽譜の上ではっきりと指示したのもベートーヴェンが最初ではないのか? モーツァルトの一部の協奏曲のロンド楽章にはそれに似た仕掛けもあるけれども、これはダイナミズムの変化というより接続曲的な舞曲のノリだろう。更に言うと、これらのダイナミックな伸縮がベートーヴェン後期のピアノソナタや弦楽四重奏でどれだけ縦横無尽に活用されるかは言うまでもないだろう。
 ベートーヴェンだけが時間の伸び縮みを意図的なダイナミズムの効果として狙っていたのだ。これはオーソドックスな古典派的音楽教育から出てくるものではなく、劇音楽や、むしろ時間を遡及してバロックの様式などから咀嚼したものだろう。何よりベートーヴェン自身が若いまだ耳の聞こえた頃はピアノの即興演奏の大家として有名だったのだ。

 どういうわけか、シューベルトメンデルスゾーンはこの手口を少なくとも純粋器楽曲の分野で使うことはほとんど全く控えてしまっていた(メンデルスゾーンには。意識的にバロックのオルガン曲に接近させた様式の器楽曲がかなりの数存在するようだが、未聴である)。いや、むしろベートーヴェンだけが突き抜けたことをし過ぎていて、二人はいくらまねようとしてもついていけなかったのだろう。この二人の音楽では、多少の自然な曲想の揺れば別として、あるフレームの中では等速に時間が流れるという前提で曲を書いていた気がする。
 「真夏の夜の夢」の序曲やスケルツォに代表されるメンデルスゾーンお得意の妖精のような軽快で饒舌なまでに音が多い音楽に至っては、むしろその等速の音響空間の中ではじめてその真価を発揮する
 メンデルスゾーンで曲の一部でテンポを不用意に揺らすと非常に安っぽく下品にしか聴こえない。「スコットランド」ですら、最近古楽器による演奏スタイルが見直されるまでは、メンデルスゾーン自身が要求したとはとても思えない厚化粧な演奏が少なくなかった気がする(例えばカラヤンやバーンスタイン)。メンデルスゾーンの交響曲を重厚壮大にやろうとするのは何か間違っている
 
 恐らくシューマンは、その音楽教育を受ける最初から、ベートーヴェンの業績を手本とすることが自然に可能だった最初の世代である。器楽曲の中で、頻繁にテンポや拍子や楽想を動かして曲のドラマを盛り上げるベートーヴェンのダイナミズムを素直に受け継ぐことになる(ついでにいうと、ベートーヴェン的な、小さな動機の徹底的な展開という技法もまた、シューベルト・メンデルスゾーン、シューマンの3人の中では文句なくシューマンが一番うまかった気がするのだが)。
 時代のロマン主義の更なる深まり、劇音楽の影響、そしてリストやパガニーニの即興的巨匠芸の影響、そして何よりシューマン自身に内在したむら気なまでの奔放な一面など、いろんな要素があったろう。だが、総合的に見て、ベートーヴェンの業績を一番まともに継承したのはシューマンだったのではないかという気がしてならない。もとよりシューマンは、それを古典的ソナタ形式に拘泥しない、別な形式的統一感のもとで生かすのである。

 シューマンの場合、交響曲等の構成的な作品では、その曲想変化に伴うテンポ上の指示などをかなり細かく書き込んでいる。第1・第4交響曲の第1楽章や 第4交響曲の終楽章の序奏部から主部に向けては、非常に芝居がかった緊張感あふれる「なだれ込み」を活用したし、また、逆に、むしろ曲や楽章のの終わりの方でかなり長めの静かでゆっくりした部分を確保し、余韻を込めて終わるやり方も好んでいる。「詩人の恋」の最後の曲のピアノによる長大なエピローグや、第一交響曲のスケルツォ楽章(!)のおわりのゆっくりした部分などは、ベートーヴェンすら思いもよらない手法だろう。
 しかし、シューマンにもまた、その奔放な楽想にもかかわらず、単なる技巧のための技巧を嫌い、表面的な華美さを嫌う独特のストイシズムが同居している。ゆえに楽譜に指定してもいない不要に大げさな表情をつけるとむしろ決然とした美しさを損なわれる場合も多い。恐らくこの点は、これから私が個々の作品の演奏を論じる上で一つのポイントとして行くであろう。

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